もののけ姫の「エボシ」は生きるべき?死ぬべき?皆の意見を人気投票中!
もののけ姫とは
1997年7月12日公開。宮崎駿の長編映画第7作。構想16年制作3年かけた超大作で、宮崎駿の集大成として制作された作品。それまでの宮崎駿の従来のヒーローヒロインの明るい映画とは少し違い、哲学要素が含まれたり、明確な悪役が設定されなかったりと、大人が考えさせられるような内容になります。また宮崎駿作品の中では初めて『空を飛ぶ』シーンが描かれておらず宮崎駿の得意分野を捨てたり、今までにないくらい暴力的な描写が多くしたり、『今までの宮崎駿らしくなさ』がたくさん詰まった作品になっています。
詳しくは「『もののけ姫』の魅力を徹底解析!」を参照ください。
そんな「もののけ姫」に登場する「エボシ」は、鉄を作る山奥の村「タタラ場」を治めている女で、物語では足を踏み外した仲間を見捨てたり、神殺しを企てたり、冷酷非情な一面が目立ち悪役として登場している感がありますが、タタラ場の人たちからは「エボシ様」と尊敬されており、女性や病人などの弱者には優しく手を伸ばす一面も持ち合わせております。そのためタタラ場では、戦争で人狩りにあって売られた女たちや、社会から差別を受けてきた癩者を集め村が形成され、「エボシ」を中心に強い団結力をもっています。
「エボシ」は物語のクライマックスに山犬の「モロ」に片腕を取られますが、最後まで死にません。宮崎駿は「エボシ」を殺すべきかどうかで相当悩んだすえ、生きるという選択をしたそうです。本記事では、エボシが生き残るべきだったか、死ぬべきだったかを考察し、最後に『【もののけ姫】「エボシ」死ぬべきだった?』というアンケートの結果を紹介します。
もしよければ皆さんの意見も聞かせてください♪
【もののけ姫】「エボシ」死ぬべきだった?のアンケート
冷酷非情の悪役として「エボシ」は死ぬべき
弱いものに手を伸ばす「エボシ」は生きるべき
その他
「エボシ」の残酷な過去を紹介
そんな「もののけ姫」に登場する「エボシ」は、鉄を作る山奥の村「タタラ場」を治めている女。物語では、足を踏み外した仲間を見捨てたり、神殺しを企てたり、冷酷非情な一面が目立ち悪役として登場している感がありますが、タタラ場の人たちからは「エボシ様」と尊敬されており、女性や病人などの弱者には優しく手を伸ばす一面も持ち合わせております。 エボシには壮絶な過去(裏設定)があります。その設定を知れば、なぜタタラ場を作ったのか、なぜシシ神の森を狙っているのか、なぜ女性に優しいのか、なぜ病人に手を差し伸べるのか、そういった疑問が解決します。
引用
辛苦の過去から抜け出した女性。海外に売られ、倭寇の頭目の妻となる。そこで頭角を現していき、ついには頭目を殺して金品を持って故郷に戻ってきた。このとき海外(明)で最新式の武器「石火矢」を手に入れ、日本に持ち込んでいる。
侍の支配から自由な、強大な自分の理想の国を作ろうと考えている。タタラ場に来る以前に、京都で天皇周辺の人物達と交流を作った。また、タタラ場を世俗とは「無縁」で暮らせる場所にしつつあった。タタラ場は革命家(エボシ)の聖域なのである。この映画で唯一、自然界にとっての悪魔であり、魂の救済を求めていない、つまり「近代人」である。
なんと、エボシ自身が「売られた女」だったのです。しかも売られた先が海賊(倭寇)であったため、なおさら「強いもの」に対する憎悪が増していたのでしょう。そのため、弱者に優しくなったのです。
さらには、世の中の権力の影響の受けない理想の国を作ろうとしていたことがわかります。そのため、タタラ場を作ったのです。そして、エボシは「神は必要ない(魂の救済を求めていない)」と現実主義の革命家となれば、自分の目的を成し遂げるために神殺しを企てたり、冷酷な判断をしたりすることも納得できます。
「エボシ」は死ぬべき?生き残るべき?
しかし、物語のヒロインの「サン」や「シシ神」のように自然の中で生きる者からすれば、エボシは悪役である上、映画での描かれ方も悪役。エボシの過去を知らない人は、ただの悪役にしか見えない人もいるでしょう。実際にプロデューサーの鈴木敏夫は「絶対壮絶に死んでもらわなけりゃ困る」と話しており、当初は宮崎駿もこの考えに納得していたようで、エボシは殺される人物として登場させたようです。
鈴木敏夫コメント
ああいう神を神とも思わぬ近代合理主義者は宿命として死ぬべきだと。それで、いわゆるエンタテイメントとしては、収まりがつく。エボシが死に、彼女の遺志をアシタカが引き継ぐ。故に彼はタタラ場に残る。
しかし、宮崎駿は相当悩んだ挙げ句、ある日「どうしても殺せない!」と鈴木敏夫に相談したそうです。その代替案が山犬の「モロ」に片腕をもぎとられるシーンでした。結果として、それが2時間の予定が2時間15分になり、スケジュールを圧迫することになったようです。宮崎駿の中の裏設定を知っていれば知るほど、「エボシ」は生きるべきと考えてしまう方も多いのではないでしょうか。
ストーリー的な流れを考慮するか、「エボシ」の裏設定を考慮するかで、「エボシ」の結末をどうするべきか意見が割れそうです。
『【もののけ姫】「エボシ」死ぬべきだった?』のアンケート結果
以上の考察より、次のアンケートを取った結果を紹介します。
アンケート内容『【【もののけ姫】「エボシ」死ぬべきだった?』のアンケート結果
- 選択肢
- 冷酷非情の悪役として「エボシ」は死ぬべき
- 弱いものに手を伸ばす「エボシ」は生きるべき
- その他
気になるアンケート結果はこちら!
【もののけ姫】「エボシ」死ぬべきだった?のアンケート
冷酷非情の悪役として「エボシ」は死ぬべき
弱いものに手を伸ばす「エボシ」は生きるべき
その他
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質問
【もののけ姫】「エボシ」死ぬべきだった?のアンケート
「もののけ姫」に登場する「エボシ」は、鉄を作る山奥の村「タタラ場」を治めている女で、物語では足を踏み外した仲間を見捨てたり、神殺しを企てたり、冷酷非情な一面が目立ち悪役として登場している感がありますが、タタラ場の人たちからは「エボシ様」と尊敬されており、女性や病人などの弱者には優しく手を伸ばす一面も持ち合わせております。そのためタタラ場では、戦争で人狩りにあって売られた女たちや、社会から差別を受けてきた癩者を集め村が形成され、「エボシ」を中心に強い団結力をもっています。
「エボシ」は物語のクライマックスに山犬の「モロ」に片腕を取られますが、最後まで死にません。宮崎駿は「エボシ」を殺すべきかどうかで相当悩んだすえ、生きるという選択をしたそうです。逆にプロデューサーの鈴木敏夫は「ああいう神を神とも思わぬ近代合理主義者は宿命として死ぬべきだと。それで、いわゆるエンタテイメントとしては、収まりがつく。」とコメントを残しており、意見が割れています。
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