【宮崎駿の激動の人生 後編】40歳までの不遇に耐えた遅咲きの天才|ジブリ人気投票も!
日本を代表する映画監督「宮崎駿」。1941年1月5日生まれ。スタジオジブリを制作基盤とし、長編映画の監督として11本の作品を残し、そのほかにも長編映画の脚本や企画、短編映画の監督など、宮崎駿の関わった作品を数えだしたらきりがありません。彼の監督作品を1作品も見ていない日本人はいるのでしょうか。監督として大成功を収めた宮崎駿でしたが、彼の制作者としての人生は決して順風満帆ではありませんでした。
ここでは、1984年「風の谷のナウシカ」が世間に認められ、ようやく映画監督として評価され始めた1985年以降の宮崎駿の人生を紹介し、彼がどのようにして日本を代表する監督に上り詰めたかを紹介します。
「風の谷のナウシカ」を制作する以前の宮崎駿の人生については、次の記事を参照ください。
- 詳しくは本記事の前編を参照ください
- 【宮崎駿の激動の人生 前編】40歳までの不遇を乗り越えた遅咲きの天才
期待が高まる「風の谷のナウシカ」の次回作!
「風の谷のナウシカ」のヒットもあり、「風の谷のナウシカ」を制作した会社「トップクラフト」を解体し、それをベースに再構築することで、徳間書店を中心に1985年に「スタジオジブリ」を設立。宮崎駿の才能を理解する周りのサポートもあり、宮崎駿は本格的に映画制作に打ち込める環境を手に入れました。今までは原作をあるものを映画化したり、原作をあえて作って映画化したりと、宮崎駿は映画を自由に作れていませんでしたが、スタジオジブリ以降は宮崎駿の本当の作りたかった内容を長編映画で表現できるようになります。
そんな中スタジオジブリは、記念すべき第1作となる「天空の城ラピュタ」を1986年に公開します。宮崎駿の小学時代に思い描いていた世界を映画化したもので、次第に大人向けのアニメが増えていく中、あえて小学生を対象とした漫画の世界を表現した作品となります。興行的には大ヒットまではいきませんでしたが、スタジオジブリ的には最低限の結果は得られ、次回作につなぐことができました。
スタジオジブリ第2作は1988年、宮崎駿の「となりのトトロ」と高畑勲の「火垂るの墓」を同時上映するという斬新な企画に打って出ます。しかし結果は惨敗、興行的に大失敗となってしまいます。大失敗の理由は詳しくは「【となりのトトロ VS 火垂るの墓】どちらの映画が好き?」を参考ください。この失敗はスタジオジブリに大ダメージを与え、すぐに次回作品を制作することで、資金を作る必要が生じたほど。またみなさんもご存知かと思いますが、両作品ともテレビ放送後は高い評価を受け、特に「となりのトトロ」のグッズの売れ行きは今も好調、スタジオジブリの稼ぎ頭の作品となりました。
はやくも後がなくなったスタジオジブリ
せっかく宮崎駿の才能を理解する周りの人たちが作ったスタジオジブリは、2作品目で早くも窮地に立たされることなりました。失敗の許されないスタジオジブリは、片渕須直監督のもと「魔女の宅急便」制作に入ります。しかしスポンサーの意向もあり、高い評価を得ていた宮崎駿に監督が交代、制作期間も身近いなか作り上げ、1989年「魔女の宅急便」を公開します。失敗が許されないこの作品では、プロディーサー補佐に鈴木敏夫をつけ宣伝活動に本腰を入れました。クロネコヤマトをスポンサーにそえ、広告宣伝、テレビCMなど、鈴木敏夫ができることを全てやりきりました。その結果もあり興行的に大成功、興行収入43億円と前回の「となりのトトロ」の4倍近い数値を残すことに成功しました。
宮崎駿の監督業だけでなく、スタジオジブリもようやく制作会社として軌道に乗せることができ、全てが順調に回り出したのが1989年「魔女の宅急便」以降といえるでしょう。再び自由に映画を作れる環境が整った宮崎駿はその後、1992年「紅の豚」を制作。自分自身の夢を描いた作品とするこの作品は、記者から『続編を作るのであれば?』という質問には必ず「紅の豚」と答えるほど、自由に作った宮崎駿のお気に入りの作品になります。
引退する意気込みで作った「もののけ姫」、そしてその後は…
宮崎駿が、構想で16年制作に3年、引退宣言までして全てをかけ全身全霊で作った作品が1997年に公開された「もののけ姫」。当時のスタジオジブリ史上一番の制作費や宮崎駿の引退宣言まで飛び出し、話題になった作品であったため、興行収入興行収入193億円を記録し当時の日本映画の興行記録を塗り替えました。ちなみに、この翌年あっさりと引退宣言は撤回されました。
実は宮崎駿の作品は、この「もののけ姫」を境に大きな変化を見せます。宮崎駿的には、「もののけ姫」でやりたいことはやりきったため、「千と千尋の神隠し」以降は作風がかなり変えており、ストーリーの一貫性を放棄したものもあえて用いたりしています。そのため、宮崎駿自身、『僕はもう既成の起承転結のよくできたストーリーの映画なんか作りたくない』や『自分の作品の大衆性が低くなっている』と発言したりしました。
しかし、いざ結果を見てみると、輝かしい結果を残すことに。大衆性が低くなったとコメントを残してますが、結果だけ見ると素晴らしい結果を残しております。
2000年以降の作品
年度 | タイトル | 観客動員数 | 興行収入 |
---|---|---|---|
2001年 | 千と千尋の神隠し | 2,350万人 | 308億円 |
2004年 | ハウルの動く城 | 1,500万人 | 196億円 |
2008年 | 崖の上のポニョ | 1,200万人 | 155億円 |
2013年 | 風立ちぬ | 1,000万人 | 120億円 |
特に、宮崎駿らしい逸話は、「崖の上のポニョ」の観客動員数が「ハウルの動く城」に及ばなかったことに、過去の自分を超えれなかったことに悔しさを覚え、もう一作品作ると意気込んだとか。また「崖の上のポニョ」と「ハウルの動く城」より結果を残そうと意気込んだ最後の作品「風立ちぬ」では、結局は自分の一番伝えたいメッセージ、世界観を描くことを優先したため、大衆性の低い作品をあえて仕上げたところも宮崎駿の尖った性格が垣間見れます。
2013年7月に「風立ちぬ」を公開後の9月に宮崎駿が長編映画の製作から引退することをスタジオジブリ社長の星野康二が正式に発表しました。
実は宮崎駿の引退宣言後も活動中!
引退宣言後、2013年からかつての夢、漫画家として活動を開始しますが、2014年に無期限延期が発表されました。
しかし、2015年鈴木敏夫が講演会で、ジブリ美術館用の新作短編CGアニメ「毛虫のボロ」を制作中であることを明らかにしています。宮崎駿が制作意欲が全然衰えておらず、何か餌を与えないと、鈴木敏夫の仕事時間が宮崎駿に取られてしょうがないということを冗談交じりで話されてました。
「毛虫のボロ」は宮崎駿が「もののけ姫」を制作する前に映画化したいと話していた作品で、長年映像化したかった作品になります。短編動画として宮崎駿自身初のCGを利用したアニメ制作に挑戦し、見事に2017年に完成しました。
そして…再びの引退宣言の撤回!!!
「毛虫のボロ」の製作が完了したのち、「自分自身の終焉」をより深く考えるようになったとのこと。その中で、宮崎駿は「引退撤回」を決断し、長編アニメーション映画の制作を決めたそうです。さらに「年齢的には、今度こそ、本当に最後の監督作品になるでしょう」と宮崎駿はコメントを残しています。
宮崎駿、スタジオジブリの作品には一貫した主張がある
最後に、宮崎駿の作品、スタジオジブリの作品が語る内容について紹介します。
スタジオジブリ作品にはエコロジー(自然環境を保護し、人間の生活との共存を目指すという考え方)と争い(戦争)について、触れることが非常に多くあります。トトロの愛嬌に注目されることが多い「となりのトトロ」も『日本にはまだこういう生き物がいるかもしれない、自然を大切にしなければいけない』というメッセージが込められています。宮崎駿の「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」、高畑勲の「火垂るの墓」などもそれに該当します。
スタジオジブリは一貫として主張する「戦争と差別を憎み、平和を希求する精神」、一度そこに注目をしてもう一度スタジオジブリの作品を見直してみてはいかがでしょうか。今までみることのできなかった、宮崎駿や高畑勲の両監督、そしてプロデューサーの鈴木敏夫が主張する、「人間そして生命の尊厳」を感じることができ、改めて作品の素晴らしさを知ることができるでしょう。
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初監督作品の「ルパン三世 カリオストロの城」から、スタジオジブリ最新作品の「風立ちぬ」までの全12作品!
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