【一つ残し / 遠慮の塊】お皿に残った最後の一つを食べる?食べない?どっち派?人気投票!
大皿にどーんと盛られたお寿司、からあげ、ポテトフライなどを、家族や友人で食べる、食事会や飲み会は、楽しいこと間違いありません。
しかし、俗にいう「遠慮の塊」や「一つ残し」であるお皿に残った最後の一つを、どう処理するのか迷ったことはないでしょうか。
そこで今回バトクエでは、遠慮の塊であるお皿の最後の一つをどう考えているのか意見を紹介し、最後に『【一つ残し / 遠慮の塊】お皿に残った最後の一つを食べる?食べない?どっち派?』という人気投票の結果を発表します。
まずは、皆さんの意見を聞かせてください!
【一つ残し / 遠慮の塊】お皿に残った最後の一つを食べる?食べない?どっち派?のアンケート
食べる
食べない
お皿の最後の一つである「遠慮の塊」や「一つ残し」とは?
俗にいう「遠慮の塊」や「一つ残し」とは、なんでしょう。辞書やwebサイトでは次のように紹介されています。
「私はよいので食べてください」と誰もが遠慮して手を出さなくなること
お皿に1つだけ残された食べ物
また関西では「遠慮の塊」といい、関東では「一つ残し」というそうです。この日本人特有の無駄な風習について、皆さんはどう考えているのでしょうか。
お皿の最後の一つである遠慮の塊/一つ残しを『食べる』派!
最後の一つは、どうせ誰も食べない
「遠慮の塊」や「一つ残し」と言われて避けられがちですが、時間が経てばたつほどなかなか食べにくくなるものです。そうなってしまえば誰も食べることができなくなるので、残り一つはさっととって食べることが一番賢い生き方かもしれません。
『食べれば?』という言葉を待つことが一番無駄であるのはいうまでもありません。
最後の一つを食べても周りは見て見ぬ振り
最後の一つを食べたとしても、日本人はなかなかそれを口に出せません。そもそも食べることに問題はないので、口に出す方が逆に変なことを知っているためです。
そもそも「遠慮の塊」や「一つ残し」自体が日本人な変な風習であることは間違いありません。
最後の一つを食べてしまえば、テーブルも広くなるし、洗う人は助かるし、実際はいいことずくめです。
お皿の最後の一つである遠慮の塊/一つ残しを『食べない』派...
食べないというより、食べれない...
まさに遠慮の塊。
最後の一つは、食べたい人がいるかもしれないし、食べていない人もいるかもしれない。
そう考えてしまうと、遠慮してしまう人は多くいるでしょう。
一つ残すこと、これぞ日本の文化!
海外に目を向ければ明らかにおかしいですが、最後の一つが自分が食べたいものでも、あえて手は出さない、この遠慮こそが日本人の美学の1つと考える人も多くいます。
ラスト1つをここぞとばかりに狙って食べるのは、日本人の美学に反する、と考える人もいるでしょう。
最後の一つはそもそも味が落ちている...
稀かもしれませんが、最後まで残って時間が経った料理は、乾燥して美味しさも落ちているかもしれません。味が落ちたものを、そこまで食べたいとは思わない、と考える人もいるでしょう。
『【一つ残し / 遠慮の塊】お皿に残った最後の一つを食べる?食べない?どっち派?』まとめ
日本人の良いのか悪いのか、どっちとも言えない風習である「一つ残し / 遠慮の塊」。外国の人のように最後の一つも遠慮なく食べて、それを気にしない性格であればどれだけ楽だろうと、考える人もいるかもしれませんが、それもまた美学。
あなたはお皿に残った最後の一つを食べる?食べない?どっち派でしょう?
『【一つ残し / 遠慮の塊】お皿に残った最後の一つを食べる?食べない?どっち派?』の人気投票結果発表!
【一つ残し / 遠慮の塊】お皿に残った最後の一つを食べる?食べない?どっち派?のアンケート
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