【アルビレックス新潟 vs ヴァンフォーレ甲府】川中島ダービーはどっちを応援?人気アンケート調査!

【アルビレックス新潟 vs ヴァンフォーレ甲府】川中島ダービーはどっちを応援?人気アンケート調査!

同じ地域に本拠地を構えるチーム同士の戦いはダービーマッチとして大きな盛り上がりを見せますが、新潟県のアルビレックス新潟と山梨県は川中島戦いをなぞらえて川中島ダービーとして盛り上がり見せます。

そこで今回はアルビレックス新潟とヴァンフォーレ甲府の2チームを比較し、「川中島ダービー」ではどちらが人気かの投票結果を発表します。

まずは皆さんの意見を教えてください♪

【アルビレックス新潟 vs ヴァンフォーレ甲府】川中島ダービーはどっちを応援?のアンケート

アルビレックス新潟

ヴァンフォーレ甲府

川中島ダービーとは

ダービーマッチは同一都道府県のチーム同士の戦いのことを指すことが一般的ですが、川中島ダービーのように他都道府県のチーム同士でも特別な意味合いを持つダービーマッチがあります。

川中島ダービーの由来

川中島ダービーは、越後国の上杉謙信と甲斐国の武田信玄が北信濃の支配権を巡って戦った川中島の戦いに由来します。かつての越後国は新潟県となりアルビレックス新潟が、かつての甲斐国は山梨県となりヴァンフォーレ甲府が本拠地を構え、両チームの対戦が川中島(長野県)で行われるようになったこと始まります。

川中島ダービーの始まりは2003年

アルビレックス新潟とヴァンフォーレ甲府の対戦は1998年から実施されていますが、当時はお互いのホームグランドで対戦が行われていたため、川中島の戦いを意識するような対戦ではありませんでした。

2003年にヴァンフォーレ甲府がまだJリーグチームがなかった長野県のファンを獲得しようと、アルビレックス新潟と対戦を長野県・松本平広域公園総合球技場で行うことにしました。新潟(越後国)vs甲府(甲斐国)の試合が長野県で行われることが川中島の戦いと同じ構図になったこと川中島ダービーがスタートします。(厳密には川中島は長野市で松本平広域公園総合球技場は松本市)

実際に両チームの対戦が松本平広域公園総合球技場で行われたのは、2003年と2006年の2回のみとなっていますが、今ではお互いのホームグランドで対戦する際にも川中島ダービーとして盛り上がります。

【アルビレックス新潟 vs ヴァンフォーレ甲府】比較①:対戦成績

アルビレックス新潟とヴァンフォーレ甲府のJリーグでの対戦は1999年より行われており、2020年8月時点でアルビレックス新潟が19勝、ヴァンフォーレ甲府が9勝、引き分けが13回とアルビレックス新潟が大きく勝ち越している状況です。

ちなみに川中島の戦い同様の構図で行われた松本平広域公園総合球技場での対戦は、1勝1敗のイーブンとなっています。

  • 2020年現在の川中島ダービー戦績
  • 41戦:アルビレックス新潟19勝、ヴァンフォーレ甲府9勝、13引き分け

【アルビレックス新潟 vs ヴァンフォーレ甲府】比較②:チームの歴史

アルビレックス新潟の歴史

アルビレックス新潟の前身は、1955年に創設された新潟イレブンサッカークラブです。その後、1996年にチーム母体を法人化し、クラブもプロ化したことで、日本初の地域リーグのプロチームが誕生しました。その翌年の1997年にチーム名を今のアルビレックス新潟へと改称しています。

1996年と1997年に北信越リーグ連覇を連覇すると、1999年から開幕されるJ2への参入が決定しました。

J2での1年目である1999年は中盤まで首位をキープするも、最終的には4位となりJ1昇格とはなりませんでした。その後3年間は7位、4位、3位と健闘を見せるもJ1昇格には至りませんでした。

そして迎えた、2003年の反町康治体制3年目に悲願のJ2優勝・J1昇格を決めます。

そこからJ1で14シーズンを戦い抜きますが、2017年にJ2昇格となってしまし、2018年以降はJ2の所属となっています。

ヴァンフォーレ甲府の歴史

ヴァンフォーレ甲府の前身は1965年に創設された甲府サッカークラブで、関東リーグや日本サッカーリーグに所属していました。 そして、1995年にJリーグ参入を目指すこととなりヴァンフォーレ甲府へクラブ名を変更し、1997年には運営会社となるヴァンフォーレ山梨スポーツクラブを設立しました。

準備が整ったヴァンフォーレ甲府は、1999年のJ2開幕と同時にアルビレックス新潟と一緒にJリーグへ参入します。しかし、初年度はJ2最下位に沈むと、その後2年間も最下位でシーズンを終えます。

2002年より復調の見せたヴァンフォーレ甲府は、4年目にしてやっと再開を抜け7位でフィニッシュ。それ以降は安定した順位を維持し、2005年にJ2で3位に入り、入れ替え戦でも勝利したことで晴れてJ1昇格となります。

その後はJ1とJ2を行き来するようになり、2017年にアルビレックス新潟とともにJ2降格となり、2018年以降はJ2の所属となっています。

【アルビレックス新潟 vs ヴァンフォーレ甲府】比較③:歴代監督・歴代選手

アルビレックス新潟の歴代監督・歴代選手

かつて北京オリンピックの日本代表監督を務めた反町康治監督が、2001年〜2005年までアルビレックス新潟で指揮を執りました。

2001年に監督に就任すると、2001年4位、2002年3位とチームの順位を順調に上げていき、2003年にJ2優勝という成績でJ1昇格へ導きました。反町監督はその後、湘南ベルマーレ、松本山雅FCなどでも監督を務め、合計4回のJ1昇格を達成しています。

元日本代表でドイツなどでも活躍したの酒井高徳は、アルビレックス新潟のユース出身であり、アルビレックスにいい型でプロデビューを果たしています。

酒井高徳は、ユース時代より2種登録されJリーグデビューしており、プロ契約1年目の開幕戦で早速プロ初出場もマークしています。2年目よりレギュラーに定着し活躍した後に、ドイツ移籍や日本代表などへ羽ばたいていきました。

ヴァンフォーレ甲府の歴代監督・歴代選手

ヴァンフォーレ甲府の歴代監督には、ジュニアユースやユース年代の代表監督やFC東京で監督を務めた城福浩監督がいます。

城福監督は2012年に監督に就任すると昨季J2降格となってしまったチームを1年でJ1昇格へと導きます。J1昇格後は思うような結果が残せず3年で退任となってしまいますが、就任早々に手腕を見せつけました。

ヴァンフォーレ甲府の印象深い外国人選手として名前が挙がるのがバレーです。バレーは2005、2006年、2015年の3シーズンをヴァンフォーレ甲府で過ごしており、チームの通算最多得点記録を保持しています。

バレーの得点能力で圧巻だったのが2005年のJ1・J2入れ替え戦です。柏レイソルと対戦したヴァンフォーレ甲府は第1戦をバレーの逆転ゴールで2-1で勝利をおさめると、第2選はバレーのゴールショーとなります。

前半10分と27分にゴールを挙げると後半は柏レイソルが一人退場になったこともあり合計6ゴールをマークし、ダブルハットトリックを達成。Jリーグでの1試合における個人の過去最多得点が5得点であったため、歴代トップの記録をマークしたのでした。(現在は2019年に柏レイソルのオルンガが1試合8得点をマーク)

「【アルビレックス新潟 vs ヴァンフォーレ甲府】川中島ダービー人気投票!」まとめ

同一都道府県だけでなく、アルビレックス新潟とヴァンフォーレ甲府のように特別な意味合いを持つダービーマッチも存在します。川中島ダービーは歴史の出来事が由来となっているので、歴史を紐解いてから観戦してみてもおもしろいかもしれませんね。

アルビレックス新潟とヴァンフォーレ甲府はどちらが魅力的か是非皆さんの意見も聞かせてください!

「【アルビレックス新潟vsヴァンフォーレ甲府】川中島ダービー」の投票結果の発表

【アルビレックス新潟 vs ヴァンフォーレ甲府】川中島ダービーはどっちを応援?のアンケート

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