【サッカー日本代表のキングは誰だ?】釜本 vs 三浦知良 vs 中田英寿 vs 本田圭佑|人気投票
日本がサッカー発展途上国だったのは今は昔で、近年は続々とスタープレイヤー達を産出する日本のサッカー界。そんな日本のサッカーの歴史の中でも、No1と言えるサッカー日本代表のキングは誰でしょうか。
サッカー界のキングの有力候補の釜本邦茂・三浦知良・中田英寿・本田圭佑の4人の中から、キングにふさわしいのは誰なのかという観点で比較し、最後に人気投票のアンケート・ランキング結果を発表します!
まずは皆さんの意見をぜひ聞かせてください♪
【歴代日本サッカー選手 No1決定戦】「釜本邦茂」VS「三浦知良」VS「中田英寿」VS「本田圭佑」のアンケート
釜本邦茂
三浦知良
中田英寿
本田圭佑
【サッカー日本代表のキング候補】釜本 邦茂
釜本は、オリンピック得点王!
釜本邦茂と言えば、日本サッカーの歴史の中でも最強のストライカーとして、よく名前が上がります。
早稲田大学を卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部(現セレッソ大阪)にて活躍。1969年1月天皇杯で決勝ゴールを上げ、チームを初優勝へと導きました。
また高校時代から日本代表に選出されており、特に1968年のメキシコオリンピックでは日本を銅メダルへと導き、自身も7得点を挙げて大会得点王になるなどの偉業を達成するなど活躍を見せていました。
釜本の異常すぎる得点率!
国際Aマッチ・FIFAでは61試合中55得点、JFAでは76試合中75得点を挙げ、当時の日本のサッカープレイヤーとしては異才とも言えるストライカーセンスを発揮しています。
釜本邦茂の特徴
釜本邦茂のプレイスタイルを挙げるならば「純粋なストライカー」でしょうか。
利き足の右足から繰り出される強烈かつ正確無比なシュートが持ち味の選手です。テクニックなどに秀でたものはありませんが、ボールコントロールに無駄が一切なく、シュートに行くまでの動作がとても綺麗で現代のプレイヤーと比べても劣らないほどです。
パスも柔らかなパスは出来ないものの、正確にボールを送るキック精度を持っています。右足だけではなく左足、そしてヘディングも上手い今の日本にも欲しいレベルのストライカーであることは間違いありません。
【サッカー日本代表のキング候補】三浦 知良
50歳を超えても現役「三浦 知良」
通称「キングカズ」で知られる三浦 知良。
若い頃のスター性とその実績で、「キングカズ」と呼ばれていましたが、50歳を超えてもなお現役を続ける現在こそ『キングカズ』という愛称がふさわしいと思う人は多くいるでしょう。
三浦 知良のすごい経歴
私立静岡学園高校を入学からたったの8カ月で中退してブラジルに一人で渡航し、長い下積み期間を経てサントスFCやSEマツバラなどのサッカークラブとプロ契約しました。
1988年にはキンゼ・デ・ジャウーへ移籍し、同年3月に行われたSCコリンチャンス・パウリスタ戦で日本人初のリーグ戦初得点を記録し、ブラジルにその名を広めました。
Jリーグが発足してからヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の黄金期プレイヤーの一人として活躍していまし。1992年のJリーグカップにおいてヴェルディを優勝に導き、大会MVPにも選出。1993年のJリーグオールスターサッカーではリーグ内でトップの20得点を記録し、ヴェルディ川崎をJリーグの初代チャンピオンに導きました。
現在も横浜FCにて選手としてプレイしており、Jリーグ最年長得点記録を更新し続けています。
ここ一番の精神力!オーラが違う!
三浦 知良は「カズならなんとかしてくれる」というオーラに溢れた選手でした。優れたドリブル能力を持っており、カズフェイントと呼ばれた高速シザーズでの突破や勢いのあるサイドステップでのフェイント突破が有名で、日本ではストライカーとして活躍していました。
基本的なサッカーのプレイングは平均して安定しているといった感じなのですが、三浦 知良の一番の強みはその強大な精神力です。どんな場面でもビクともせず、ここ一番という決めたい場面できっちり決める。周囲全ての期待を背負い、それに応えてくれる。まさにスタープレイヤーを体言したようなサッカー選手です。
【サッカー日本代表のキング候補】中田 英寿
中田 英寿はサッカー界のパイオニア!
日本がワールドカップに初出場した1998年のフランスW杯から2006年のドイツW杯まで、日本代表を支えた日本の顔とも言えるプレイヤーです。
1995年ベルマーレ平塚に入団し、トップ下で活躍。その後日本代表での活躍から、ペルージャ・ASローマ・パルマなどイタリアの様々なクラブで活躍し、最後に所属したのはボルトンでした。ペルージャでの活躍が認められ、当時の世界トップクラブとも言える、ASローマへ移籍し、そこでスクデット(優勝)に貢献した中田英寿の活躍は日本人が初めて世界で成功したと言っても過言ではないでしょう。
まさに日本のサッカー界のパイオニアと言える存在です。
中田 英寿は日本代表の節目の試合で必ず貢献!
日本代表としては、1996年にアトランタ五輪に出場し、あの「マイアミの奇跡」と言われているブラジル五輪代表戦の勝利に貢献しました。
1997年に韓国との親善試合でフル代表に初招集されその実力を発揮、レギュラーとして定着してからのフランスW杯・アジア最終予選においてアジア第3代表決定戦をイラン代表から勝ち取った「ジョホールバルの歓喜」の立役者の一人として活躍、W杯初出場へと導きました。
以後2006年のドイツW杯まで、日本代表の中核プレイヤーとして戦い抜いてきたサッカー選手です。
テクニックとフィジカルに優れた最高のバランス
中田 英寿のテクニック・パスセンスは秀逸で、特にスルーパス・キラーパスという言葉を日本に定着させたのは中田 英寿と言っても過言ではありません。あまりにも精度が高く先を見越したパスだったため、受ける側にも高いレベルが要求されるほどでした。
またボディバランス・フィジカルに優れ、どんな当たりに対してもとにかく倒れない強靭さを持っていました。ヨーロッパで通用した大きな理由の一つがこのフィジカル面で負けなかったことがあげられるでしょう。
【サッカー日本代表のキング候補】本田 圭佑
本田 圭佑の世界の基準の意識の高さ!
2005年に高校を卒業してから名古屋グランパスエイトにて活躍、入団から翌年にはレギュラーとして活躍していました。「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条件で入団するなど、当時から海外でのプレイを意識していたようです。
2008年にはVVVフェンローへ移籍、2008-09シーズンにおいてリーグ戦36試合に出場し、16ゴール13アシストを挙げチームの2部リーグ優勝・1部リーグ復帰に貢献しました。また2部リーグにおけるMVPを受賞しています。それから2010年にCSKAモスクワ・2014年にACミランへ移籍し活躍を見せていました。
重要な試合で結果を残し続けたモッテイル男!
日本代表においては2008年FIFAワールドカップ・アジア3次予選のバーレーン戦からデビューし、中盤の主力として活躍。2010年の南アフリカW杯ではセンターフォワードに抜擢され、カメルーン戦にて決勝点を挙げ、デンマーク戦ではフリーキックでの先制点とアシストを記録しその存在をアピールしていました。
本田 圭佑も中田 英寿のように主に中盤で活躍したプレイヤーですが、高いテクニックとフィジカルを併せ持ち、精度の高いフリーキックや強烈なシュートを持ち、フォワードやセンターハーフもこなせるユーティリティープレイヤーです。
『【サッカー日本代表のキングは誰だ?】釜本 vs 三浦知良 vs 中田英寿 vs 本田圭佑』まとめ
いかがでしたでしょうか。こうして4選手の経歴や活躍を見てみると、皆それぞれずば抜けたサッカープレイヤーであることが分かります。それぞれ活躍した時期が違いますが、誰もがNo1スタープレイヤーと言っていいだけの活躍をしているので評価が難しいところです。
あなたは、誰がNo1スタープレイヤーだと思いますか?
それでは皆さんのお待ちかねの「釜本 VS 三浦知良 VS 中田英寿 VS 本田圭佑」アンケート結果発表!
【歴代日本サッカー選手 No1決定戦】「釜本邦茂」VS「三浦知良」VS「中田英寿」VS「本田圭佑」のアンケート
釜本邦茂
三浦知良
中田英寿
本田圭佑
まだまだ募集しています!ぜひアンケートにご協力ください!
【歴代日本サッカー選手 No1決定戦】「釜本邦茂」VS「三浦知良」VS「中田英寿」VS「本田圭佑」のアンケート
釜本邦茂
三浦知良
中田英寿
本田圭佑
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