【風の谷のナウシカ】鈴木敏夫の『うそ』がなければ映画化されなかった?
「風の谷のナウシカ」とは
1984年3月11日公開。宮崎駿の長編映画第2作。現スタジオジブリを支えるスタッフ、「高畑勲」や「鈴木敏夫」、「久石譲」らによって、制作されています。放映時はスタジオジブリ結成前であったため、正確にはスタジオジブリ作品ではありませんが、現在はスタジオジブリ社のシリーズ作品の一つとして公式に扱っています。原作は「アニメージュ」に連載していた宮崎駿の漫画「風の谷のナウシカ」であり、原作の単行本全7巻の序盤の2巻までの内容を映画化されました。
映画化するまでは山あり谷ありの苦労だらけ!
そんな「風の谷のナウシカ」の映画化に至るまで山あり谷ありだったと、スタジオジブリの名プロデューサー「鈴木敏夫」はいいます。出資元となった徳間書店と博報堂の企画会議では、映画制作になかなか許可が得られず、短編アニメ企画から徐々に話を膨らませ、映画化までたどり着いたと鈴木敏夫は語っています。そして一番の驚きは、最終的な映画化が決まるかもしれない企画会議で、鈴木敏夫が言った『うそ』が決め手となったことです。そこで本記事では、「風の谷のナウシカ」が映画化に至るまでの鈴木敏夫の奮闘を紹介し、最後に「風の谷のナウシカを映画化するためについた鈴木敏夫の『うそ』は許せますか?」というアンケートの結果を紹介します。
もしよければ皆さんの意見も聞かせてください♪
風の谷のナウシカを映画化するためについた鈴木敏夫の『うそ』は許せますか?のアンケート
スタジオジブリを作った功績を考えると、少しくらいの『うそ』は許す!
社会人として『うそ』は許せない!
映画制作にOKが出るまでの鈴木敏夫の苦労とは?
まずは原作を作るところから
今となっては日本で一番有名な映画会社として知られる「スタジオジブリ」ですが、立ち上げ当初はとても順調とはいえませんでした。そのスタジオジブリの第1作品目となるのが「風の谷のナウシカ」です。正確にいうと「風の谷のナウシカ」を制作した面々がそのままスタジオジブリを立ち上げた形になります。そもそもスタジオジブリは、鈴木敏夫が宮崎駿に『自由』に映画を作らせたいという一心で始まりました。そのため、スタジオジブリの映画は宮崎駿に作らせる必要がありました。
しかし当時の宮崎駿は、初映画監督作品「ルパン三世 カリオストロの城」で興行的に大失敗したばかり(※ロードショー等で改めて評価され、今では誰もが知る名作となった)で、アニメ・映画業界から干されている不遇の時代を過ごしていました。そのため、まず映画制作するための資金を出してくれる会社がありません。当時の鈴木敏夫が所属する徳間書店の企画会議になんとか映画制作を通そうとしましたが、『原作のないものを映画化することはできない』と却下され続けていました。
しかし、徳間書店のアニメージュ編集長の尾形英夫は「未来少年コナン」から宮崎駿の才能に目をつけており、鈴木敏夫に『無理やり原作を作ってみては』と考案しました。その結果、鈴木敏夫は漫画を描ける宮崎駿の才能をフルに利用し、アニメージュにて「風の谷のナウシカ」の漫画の連載にこじつけます。
わずか2巻(約240ページ)の内容で映画化の許可をとることに…
連載を開始したのはいいのですが、宮崎駿の漫画の執筆の遅さは有名で1ページ書くのに1日を費やす時もあると言われており、約1年かけて2巻分(1巻120ページ)しか進みませんでした。それでも鈴木敏夫は原作を作ったということで映画化の話を強引に進めていくことになります。まずは短編アニメという企画から徐々に話を膨らませ、ようやく映画化を検討する企画会議までたどり着きます。
これが、鈴木敏夫の『うそ』!
満を持してではなく、綱渡りでたどり着いた企画会議、鈴木敏夫は絶対に映画化を勝ち取りたい、おそらくそう誓って挑んだのでしょう。企画会議自体はほとんど投資元の徳間書店と博報堂のトップ同士の会談だったようですが、鈴木敏夫は漫画「風の谷のナウシカ」の魅力のアピールに尽力したようです。その中のやり取りで、鈴木敏夫は嘘をついてしまったと後に語っています。
企画会議でのやり取り
博報堂担当者:ところで鈴木さん、忘れてたけれど、このナウシカの原作って、どのくらい売れてるの?
鈴木敏夫:いや、、、売れて、ますよ。
博報堂担当者:どのくらい出てるんですか?
鈴木敏夫:5、10万部です
博報堂担当者:そんなに売れてるんですか!
実際は、7万部出して5万部も売れていない現状があった中、『5、10万部』と回答たそうです。この回答は5~10万部という意味でいったのであれば嘘にはならないのですが、言い方が「ご じゅう 万部」なので、50万部と聞こえるようにいったとのことでした。完全にはったり(ウソ)だったと鈴木敏夫は振り返っています。企画会議では、いい反応を得ることができましたが、鈴木敏夫はどう辻褄合わせすればよいか相当頭を悩ませることになったそうです…
このウソがないと、後のスタジオジブリはなかったかもしれません。まさに、鈴木敏夫の武勇伝ですね!
鈴木敏夫には、まだまだ「はったり」があった!?
1980年代前半の漫画は、通常1巻当たり160ページくらいあったそうです。しかし、漫画「風の谷のナウシカ」は118ページ。これは鈴木敏夫が、どうしても早く宮崎駿と映画を作りたかったため、少ないページ数で単行本にしてしまったそうです。執筆の遅い宮崎駿が1年で、2巻も単行本化し、映画の企画会議に話を持って行けたのは、鈴木敏夫の裏工作があったからに違いありません。
許せる許せない議論
『社会人としてうそは許せない』と思う方は多いかと思います。しかし、負けるのがわかっていた場合、『うそ』により逆転ホームランを打てる可能性が残っているのであれば、勝負する(うそをつく)のはありと考える人もいるかもしれません。
決してうそがいいわけではないですが、宮崎駿の作る映画を世の中に知ってもらいたい一心で、鈴木敏夫は『うそ』をつきました。その『うそ』がなかったらスタジオジブリは存在していなかったかもしれません。私は鈴木敏夫の『うそ』はファインプレーとして許したいなと思います。
皆さんはいかがでしょうか笑
『【風の谷のナウシカ】鈴木敏夫の『うそ』がなければ映画化されなかった?』まとめ
いかがでしたか?この鈴木敏夫の嘘がなければ、風の谷のナウシカの映画化が実現しなかったかもしれません。ジブリの名作が見れないことを考えると、鈴木敏夫の英断だったかもしれませんね。
最後に次のアンケートを取った結果を紹介します。
アンケート内容『風の谷のナウシカを映画化するためについた鈴木敏夫の『うそ』は許せますか?』
- 選択肢
- スタジオジブリを作った功績を考えると、少しくらいの『うそ』は許す!
- 社会人として『うそ』は許せない!
気になるアンケート結果はこちら!
風の谷のナウシカを映画化するためについた鈴木敏夫の『うそ』は許せますか?のアンケート
スタジオジブリを作った功績を考えると、少しくらいの『うそ』は許す!
社会人として『うそ』は許せない!
アンケートまだまだ募集しています!皆さんのご意見も是非教えてください。
風の谷のナウシカを映画化するためについた鈴木敏夫の『うそ』は許せますか?のアンケート
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