【中田英寿】好き?嫌い?どっち?元日本代表のエースの人気アンケート調査

【中田英寿】好き?嫌い?どっち?元日本代表のエースの人気アンケート調査

日本代表初のワールドカップ出場となったフランス大会を含めたW杯出場3回、FIFAの「偉大なサッカー選手100人」の選出、アジア年間最優秀選手賞2回など、数多くの功績を挙げた中田英寿。

引退後はサッカー以外の活動にも意欲的で、さまざまな業界に貢献しています。

そこで今回は中田英寿の魅力を解説し、中田英寿が好きか嫌いかのアンケート投票結果を発表します。

まずは皆さんの意見を教えてください♪

【中田英寿】好き?嫌い?どっち?のアンケート

★★★★★(大好き)

★★★★(好きかな)

★★★(普通)

★★(嫌いじゃないけど)

★(嫌い)

中田英寿とは

中田英寿は1977年1月22日生まれ、山梨県甲府市出身の元日本代表プロサッカー選手です。

山梨県の韮崎高校を卒業後、当時のJリーグチーム12チーム中11チームからオファーを受け、ベルマーレ平塚に入団。1998年フランスW杯予選突破に貢献し、フランスW杯でも日本代表の司令塔として出場しました。

その活躍が海外でも認められ、12の海外クラブからのオファーを受けイタリアセリエAのペルージャへ移籍し、活躍の場を世界に広げました。ちなみに当時のセリエAは世界で最もレベルが高いリーグで、あのフランスのジダンやイタリアのR.バッジョたちが活躍していた時代です。

日本人初のスクデットを手繰り寄せた中田英寿の伝説のミドルシュート

ペルージャでも司令塔としてチームを支えた中田英寿は、その後セリエAの強豪ASローマへと移籍します。しかし、当時のASローマにはイタリア代表の司令塔フランチェスコ・トッティがいたため、ベンチスタートや本職ではないボランチでの出場が続きます。

2000-2001シーズンで首位を走るローマは、残り6試合で優勝争いをするユベントスと激突。勝敗が優勝に大きく関わる一戦で中田英寿は、0-2の状況でトッティと代わって出場。中盤でボールを持った中田英寿は中央をドリブルで駆け上がり右足一閃、豪快なミドルシュートをゴールネットに突き刺します。

さらに2点目も中田英寿のミドルシュートをキーパーが弾いたことで生まれ、敗色濃厚の首位争いを一人の日本人がドローへと持ち込んだのです。

このドローが大きな分岐となり、そのままASローマは18シーズンぶりのスクデット(セリエA優勝)を勝ち取り、中田英寿も日本人として初となるスクデットを獲得したのでした。

中田英寿の早すぎる引退

ローマでの活躍後もセリエAのパルマやフィオレンティーナ、イングランド・プレミアリーグのボルトンでプレーした中田英寿は、日本代表としても2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯に出場し、そのドイツW杯を最後にサッカーを引退します。

この時サッカー選手として旬の29歳という年齢でした。

引退後もカリスマ性をはっきする中田英寿

引退後は世界約90カ国・150以上の都市を旅して、さまざまな文化に触れます。その中で国連と協力しながらサッカーを通じて社会貢献活動を行ったり、さまざまなチャリティー活動を主催するなど、サッカー以外の面で精力的に活動していきます。

また世界を旅することで日本文化が世界で高い評価を受けていることに気づき、2009年からは日本全国47都道府県を巡り、日本の文化・伝統・農業・ものづくりなどの日本の魅力に触れていきます。

その魅力を多くの人に伝えるためのプロジェクトも多数発足しており、2020年には国内で唯一の工芸専門の国立美術館の名誉館長にも就任しています。

中田英寿の魅力・すごさ!

中田英寿は、海外挑戦の先駆者(パイオニア)

今では多くの日本人が海外でプレーして多くの実績を挙げていますが、中田英寿が海外に挑戦する時代には日本人が海外で成功をおさめることは極めて難しいとされていました。中田英寿以前でヨーロッパ主要リーグの優勝に貢献した日本人は唯一、奥寺康彦がドイツに渡りプレーしブンデスリーガとドイツリーグで優勝していますが、1970年代のことです。

セリエAでは三浦知良がジェノアCFCへ期限付き移籍を果たし、セリエAで日本人初出場・初得点を記録していますが、長期間海外でプレーすることには至っていません。

今の海外移籍の流れを作ったのは中田英寿の活躍があってこそであり、中田英寿が移籍した後に名波浩や中村俊輔もセリエAへの移籍を実現させています。

中田英寿が世界の中田となったからこそ、日本人が世界で認められ始め、その後多くの海外挑戦者を出したといっても過言ではないでしょう。

日本の文化を広める中田英寿

中田英寿はサッカー引退後に、日本の文化を広める活動を精力的に行っています。

例えば、国内最大級の日本酒イベントである「CRAFT SAKE WEEK」、日本の文化の継承・発展を促すことを目的としたメディア・書籍「に・ほ・ん・も・の」、世界最大級の陶磁器の祭典「国際陶磁器フェスティバル美濃」の2017年の総合プロデューサーなどがあります。

すべては中田英寿自身が日本全国47都道府県を旅して感じたことをから始まっており、自分で行動して体験したことを伝えている点が多くの人に共感・評価されています。

中田英寿が嫌いなアンチ派も

サッカーでの功績やその後の社会や日本文化の振興への貢献活動などに共感を持っている人も多くいますが、その一方ですべてをポジティブに受け入れられないといった意見もあります。

日本代表でレベルが高すぎた中田英寿

中田英寿が1990年代後半から2000年代前半にかけて日本サッカー界でずば抜けた能力と実績を持っていました。

中田英寿の求めるスキルに日本代表に選ばれる選手ですら追いつかず、日本代表の連携がチグハグになったり、また中田英寿自身も周囲のレベルに合わせるといった妥協を許さなかったこともあったため、日本代表で孤立することもありました。

まだまだサッカーができるのに引退した中田英寿

中田英寿は2006年ドイツW杯ブラジル戦を最後に29歳でサッカーから引退していますが、まだまだ十分にプレーできる実力があったことから、サッカーファンの中では引退後の活動を見越した早期引退であったのではないかといった声も上がっています。

サッカー選手としての期待が大きかった分、中途半端なお割り方をしてしまったとの見え方もあり、不満を抑えられないファンも多いのでしょう。

「【中田英寿】好き?嫌い?どっち?元日本代表のエースの人気投票中!」まとめ

中田英寿は日本サッカーを世界に広めたサッカー界のパイオニア、伝説的な人物です。またサッカー以外の活動にも精力的で、引退後も話題が絶えないカリスマ性を持った人物です。

サッカーのトッププレーヤーとしては早い年齢での引退であったこともあり、サッカーファンの中ではもっとプレーを続けて欲しかった、日本に戻って日本サッカーに貢献して欲しいなどの意見もあるでしょう。

みなさんはそんな中田英寿が好きか嫌いかどちらですか?中田英寿の過去と今を踏まえてぜひアンケート投票してみてください!

「【中田英寿】好き?嫌い?どっち?元日本代表のエースの人気投票!」の投票結果の発表

【中田英寿】好き?嫌い?どっち?のアンケート

★★★★★(大好き)

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【中田英寿】好き?嫌い?どっち?のアンケート

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