【ブラジル 黄金のカルテットの人気アンケート】ジーコ vs トニーニョ・セレーゾ vs ファルカン vs ソクラテス

【ブラジル 黄金のカルテットの人気アンケート】ジーコ vs トニーニョ・セレーゾ vs ファルカン vs ソクラテス

ペレ、ドゥンガ、カフー、ロベルト・カルロス、リバウド、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマールなど歴代のブラジル代表には名だたるメンバーがずらりと並んでいます。

そんな中でも1980年代に黄金のカルテットの相性で、世界中から注目されたジーコ、トニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテス4人組をご存知でしょうか?

そこで今回は、黄金のカルテットの概要を説明し、ジーコ、トニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテスの実績と特徴を比較しながら、どちらが人気かのアンケート投票結果を発表します。

まずは皆さんの意見を教えてください♪

【ブラジル 黄金のカルテットの人気アンケート】ジーコ vs トニーニョ・セレーゾ vs ファルカン vs ソクラテスのアンケート

ジーコ

トニーニョ・セレーゾ

ファルカン

ソクラテス

黄金のカルテットとは

黄金のカルテットは、1980年代のブラジル代表MF4人組、ジーコ、トニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテスの愛称です。

1982年のスペインワールドカップで4人がMFとして同時出場し、世界中を魅了したことからそう呼ばれるようになりました。

黄金のカルテットが実現したのは4試合のみ

黄金のカルテットは非常に有名な愛称ですが、実際にジーコ、トニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテスの4人がMFを構成して試合をしたのは、スペインワールドカップの一次リーグ2試合と二次リーグの2試合のみでした。

黄金のカルテットでもワールドカップ優勝はできなかった

黄金のカルテットでもワールドカップ優勝はできなかった

ブラジルサッカー史上もっとも高いテクニックとパスワークを持ち合わせていたとされる黄金のカルテットですが、スペインワールドカップでは二次リーグで姿を消しています。

一次リーグで3戦全勝突破をしたブラジルは、二次リーグで前回優勝国のマラドーナ率いるアルゼンチン、スペインワールドカップで優勝国となるイタリアと同リーグとなります。

二次リーグ初戦はアルゼンチンに3-1で勝利し、迎えたイタリア戦。イタリアはアルゼンチンに2-1でしたので、引き分け以上でブラジルの決勝トーナメント進出が決まる状況でした。

開始5分にイタリアのパオロ・ロッシに先制されますが、12分にソクラテスの得点で同点とします。25分に再びパオロ・ロッシのゴールでイタリアが勝ち越すものの、68分にファルカンのゴールで再び同点に。その後、74分に三度パオロ・ロッシがゴールを決めこのまま試合終了。

パオロ・ロッシのハットトリックの活躍で、黄金のカルテットはワールドカップを後にしたのでした。

【ジーコ vs トニーニョ・セレーゾ vs ファルカン vs ソクラテス】ジーコの実績や魅力

ジーコは鹿島アントラーズで選手やコーチ兼テクニカルディレクターとして在籍し、日本代表監督も務めた選手ですので、日本人にとっては非常に馴染み深い外国人選手です。

1971年にブラジルのフラメンゴでプロデビューし、イタリアのウディネーゼなどでプレーしました。ブラジル代表としては、1978年、1982年、1986年と3大会連続でW杯に出場しています。

ジーコは一度引退するも、日本で現役復帰

1989年に一時は現役引退するも、1991年に鹿島アントラーズの前身の住友金属工業蹴球団で現役復帰します。なんと住友金属工業蹴球団は、当時の日本国内リーグで2部の所属でした。

今までの経験と日本のサッカー環境や意識の差に葛藤しながらも、チームをプロ集団へと育て上げていきました。1993年にJリーグが開幕すると、開幕戦でJリーグ初となるハットトリックでJリーグデビューを飾ります。

その後、怪我などで出られない試合もありましたが、ジーコが育て上げたチームは見事Jリーグ初代チャンピオンに輝きます。

ジーコは監督経験がない中、日本代表監督へ!

1994年に鹿島アントラーズで再び現役を引退。ブラジル代表のテクニカルディレクターなどを経て、2002年日韓ワールドカップ終了後に日本代表監督に就任します。

監督歴はなかったものの、鹿島アントラーズへの貢献やブラジル代表のテクニカルディレクターとしてフランスワールドカップに帯同したなどの実績を加味しての抜擢でした。

ジーコジャパンは2004年のアジアカップで優勝し、全世界で最速のワールドカップ予選突破を決めます。コンフェデレーションズカップや親善試合でブラジル代表やドイツ代表に引き分けるなど、期待が集まりましたが、ドイツワールドカップでは1勝もできずにグループリーグで敗退しました。

ジーコはテクニックとフィジカル、得点感覚を備えた選手だった

ジーコのテクニックの高さは幼い頃から評判が高かったのですが、低身長で痩せ形の体格であったため、フィジカル面での課題がありました。そこで、ユース時代に肉体改造が行われ、見事成功したジーコは強靭なフィジカルを手にします。

また、ユースチームで116試合81得点、フラメンゴで731試合508得点を挙げており、得点能力が非常に優れた選手であったことがわかります。自身の現役通算ゴール数は800ゴールを超えています。

【ジーコ vs トニーニョ・セレーゾ vs ファルカン vs ソクラテス】トニーニョ・セレーゾの実績や魅力

トニーニョ・セレーゾも鹿島アントアラーズで監督を務めており、日本人にとって馴染み深い外国人選手です。

1972年にブラジルのアトレチコ・ミネイロでプロデビューし、約10年間プレーし1883年にイタリアのASローマへ移籍、1986年からはサンプドリアでプレーしました。1992年以降は再びブラジルでプレーして、1997年に現役を引退しています。

ブラジル代表としては、1978年、1982年と2大会連続でW杯に出場しています。

トニーニョ・セレーゾは、鹿島アントラーズの監督として三冠を達成

1999年にECヴィトーリアの監督に就任して、指導者としてのキャリアをスタートさせると2000年には鹿島アントラーズの監督に就任します。

1年目にしてJ1リーグ、ナビスコカップ(現:ルヴァンカップ)、天皇杯の三冠を達成し、鹿島アントラーズの一時代を築きます。最終的には6シーズンといった長期政権となり、合計5つのタイトルを獲得しました。

特典も取れる守備的MFのトニーニョ・セレーゾ

当時の守備的MFは相手の攻撃を潰し、ボールを効率よく前線へ供給すること主な仕事とされていましたが、トニーニョ・セレーゾはチャンスの時には前線へ上がっていき、得点やアシストができる選手でした。

その証拠に、ASローマ時代には108試合で25得点を挙げています。

また全体の舵取り役でもあったため、コーチングの量と質の高さが目立つような選手でした。

【ジーコ vs トニーニョ・セレーゾ vs ファルカン vs ソクラテス】ファルカンの実績や魅力

ファルカンも実は日本代表監督を務めたことがある選手です。トニーニョ・セレーゾも鹿島アントアラーズで監督を務めており、日本人にとって馴染み深い外国人選手です。

1972年にブラジルのインテルナシオナルでプロデビューすると、1980-1985はトニーニョ・セレーゾも在籍していたASローマでプレーし、その後はブラジルでプレーした後に引退しています。

ブラジル代表としては、1982年、1986年と2大会連続でW杯に出場しています。

ファルカンは日本代表監督を1年で解任される

現役引退後は、1990年にブラジル代表監督に就任し、コパ・アメリカで準優勝の成績を残したのですが、1年で解任となっています。

1994年にはドーハの悲劇でW杯出場を逃したハンス・オフトの後任として、日本代表監督に就任します。当時の日本代表はハンス・オフト時代の流れも大きく、なかなかフィットできずに結果を残せないまま1年で解任となってしまいます。

ローマの鷹の異名を持ったファルカン

ファルカンは、視野の広さとゲームコントロール能力に長けていることから、ローマの鷹とも呼ばれていました。

パスセンスやシュート力も兼ね備えており、ASローマではトップ下としてもプレーしました。また、スペインワールドカップの破れてしまったイタリア戦では、同点ゴールとなるミドルシュートを含め3得点を決めています。

【ジーコ vs トニーニョ・セレーゾ vs ファルカン vs ソクラテス】ソクラテスの実績や魅力

ソクラテスは黄金のカルテットの一角であり、1982年スペインワールドカップのブラジル代表キャプテンでもありました。

1974年にブラジルのボタフォゴ-SPでプロデビューすると、コリンチャンスで長年プレーし、1984-1985の1シーズンのみイタリア・セリエAフィオレンティーナでもプレーしました。

ブラジル代表としては、1982年、1986年と2大会連続でW杯に出場しています。

ソクラテスは、整形外科医としての顔も持つ

ソクラテスは学生時代に勉学にも熱心に励んでおり、ボタフォゴ-SPの下部組織時代は学問を優先して練習の参加率は低かったそうです。トップチームデビュー後も大学での勉強を両立するために、あらゆる強豪チームからのオファーを断っていました。

23歳で大学を卒業し医師免許を取得したソクラテスは、ポルトガル語で「医者・博士」の意味を持つドトールとも呼ばれていました。

長身で痩せ形ながらも高い得点能力を発揮するソクラテス

ソクラテスは192cmの長身ながらも体重は70kg台と非常に痩せ形な体型でした。しかし、高いボールテクニックと正確なキックでゴールを量産しています。

1974-1978まで過ごしたボタフォゴ-SPで269試合101得点、1978-1984にプレーしたコリンチャンスでは297試合172得点とフォワードさながらの得点数を記録しています。

【ジーコ vs トニーニョ・セレーゾ vs ファルカン vs ソクラテス】黄金のカルテットで人気なのは誰?

ワールドカップで優勝することはできなかったものの、世界中を魅了した黄金のカルテット。全員がエース級の実力を持ち、誰か一人を選ぶのは迷ってしまいますね。

もし誰かを選ばないといけないとしたらどうしますか?皆さんの意見を聞かせてください!

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