【ベガルタ仙台 vs モンテディオ山形】みちのくダービーはどっちを応援?人気アンケート調査

【ベガルタ仙台 vs モンテディオ山形】みちのくダービーはどっちを応援?人気アンケート調査

同じ地域に本拠地を構えるチーム同士の戦いはダービーマッチとして大きな盛り上がりを見せますが、東北地域の太平洋側に面する宮城県のベガルタ仙台と山形県のモンテディオ山形の試合はみちのくダービーとして人気があります。

そこで今回はベガルタ仙台とモンテディオ山形の2チームを比較し、「みちのくダービー」ではどちらが人気かの投票結果を発表します。

まずは皆さんの意見を教えてください♪

【ベガルタ仙台 vs モンテディオ山形】みちのくダービーはどっちを応援?のアンケート

ベガルタ仙台

モンテディオ山形

みちのくダービーとは

現在の東北地方の内陸側と太平洋沿岸を中心とした地域を昔はみちのくと呼んでいました。そのみちのくに本拠地を構えるベガルタ仙台とモンテディオ山形による試合をみちのくダービーと呼びます。

ベガルタ仙台の前身である東北電力サッカー部とモンテディオ山形の前身であるNEC山形サッカー部はJリーグ加盟前の社会人サッカー時代より対戦がありましたが、みちのくダービーとして呼ばれるようになったのは、J1での初対戦となる2010年7月8日からになります。

1991年から凌ぎを削ってきた両クラブ

みちのくダービーとして呼ばれるようになったのは2010年からのことですが、それ以前のJ2時代やJFL時代、東北リーグ時代より対戦があり、ともに凌ぎを削りあい切磋琢磨しながらJリーグへ駆け上がっていった歴史があります。

1998年まではともにJFLに所属していた両クラブですが、J2が誕生したことで1999年にともにJリーグへ加盟します。ベガルタ仙台が2001年にJ1昇格を決めるものの2年で降格。その後は両クラブとも昇格ができない年が続きますが、2008年にモンテディオ山形がJ1昇格を決め、その翌年にベガルタ仙台もJ1昇格を決めます。そして、両クラブがJ1で顔を揃えた2010年にみちのくダービーが誕生しました。

【ベガルタ仙台 vs モンテディオ山形】比較①:対戦成績

みちのくダービーと呼ばれる前

みちのくダービーと呼ばれる前の両クラブの対戦を遡ると東北リーグとJFLでのリーグ戦で14度の対戦があり、ベガルタ仙台(旧:東北電力 / ブランメル仙台)が3勝、モンテディオ山形(旧:NEC山形)が8勝、引き分けが3回となっており、モンテディオ山形が勝ち越していました。

J2に加盟し、2010年のみちのくダービー誕生までにはリーグ戦で31度の対戦があり、ベガルタ仙台が12勝、モンテディオ山形が6勝、引き分けが13回で今度はベガルタ仙台が勝ち越します。

みちのくダービー誕生後

2010年のみちのくダービー誕生からはJ1とJ2のリーグ戦で6度の対戦があり、ベガルタ仙台が4勝、モンテディオ山形が1勝、引き分けが1回でベガルタ仙台が勝ち越しています。

このように過去の成績を辿ると社会人サッカー時代はモンテディオ山形が優勢で、プロ化したのちはベガルタ仙台が優勢であることがわかります。

  • 2020年現在のダービー戦績
  • 58戦:ベガルタ仙台23勝、モンテディオ山形17勝、18引き分け
    • Jリーグ:ベガルタ仙台16勝、モンテディオ山形7勝、14引き分け
    • カップ戦・天皇杯など:ベガルタ仙台4勝、モンテディオ山形2勝、1引き分け
    • 東北リーグ・JFL:ベガルタ仙台3勝、モンテディオ山形8勝、3引き分け

【ベガルタ仙台 vs モンテディオ山形】比較②:チームの歴史

ベガルタ仙台の歴史

ベガルタ仙台の前身は東北電力サッカー部であり、1991年東北リーグの所属していましたが、1994年に東北リーグで優勝すると、翌年1月の地域決勝で優勝し、JFL昇格を決めます。その地域決勝に臨む前の1994年10月に東北電力サッカー部からブランメル仙台へクラブ名が変更を変更しています。

1995年からはブランメル仙台としてJFLを4シーズン戦い、年間で上位の成績をおさめることができなかったものの、1999年よりJリーグの2部制が開始となったタイミングでJ2へ参入することとなります。

J2昇格後の3シーズン目の2001年にJ1自動昇格圏内である2位の成績で、見事東北クラブでは初めてJ1昇格を決めます。2シーズンで再びJ2へ降格してしまいますが、2009年にJ2で優勝しJ1昇格を決めると、その後はJ1の舞台で戦い続けています。

モンテディオ山形のタイトル

モンテディオ山形の前身のNEC山形サッカー部は、東北電力サッカー部より1年早い1990年より東北リーグに所属しており、1990年〜1993年の4シーズンで4連覇を達成しています。しかし、1990年〜1992年の3年連続で地域決勝でのJFL昇格を逃しており、1993年の4度目の挑戦でJFL昇格を決めました。

JFL昇格後は目立たしい成績は残せないシーズンが続きましたが、JFL最後のシーズンとなる1998年は歴代最高の3位でシーズンを終え、その翌年のJリーグ2部制導入より、J2へ参入します。

ベガルタ仙台が3シーズンでのJ1昇格を決める中、モンテディオ山形は中々J2から抜け出せない状況が続きますが、J2での10シーズン目にあたる2008年に2位となり悲願のJ1昇格を成し遂げます。その後は2011年に再びJ2降格となり、2014年に再びJ1へ昇格するも1年で降格。2016年以降はJ2での戦いを強いられている状況です。

【ベガルタ仙台 vs モンテディオ山形】比較③:名監督

ベガルタ仙台に所属した名監督

2008〜2013年のベガルタ仙台を指揮したのは、ロンドンオリンピックで日本代表をベスト4に導いた手倉森誠監督です。2008年にベガルタ仙台の監督に就任した手倉森監督は、1年目にJ2で3位に入り、惜しくもJ1入れ替え戦で敗退してしまうものの、続いて指揮した2009年はJ2で優勝しJ1昇格を決め、天皇杯でもベスト4に入る好成績をおさめます。

手倉森体制J1初年度の2010年は14位でぎりぎりの残留となりましたが、翌2011年は優勝争いまで食い込む4位、さらにその翌年2012年には優勝まであと1歩に迫る2位といった好成績でシーズンを終えます。J2時代の就任当初より目標に掲げていたAFCチャンピオンズリーグ出場切符を見事手にしたのでした。

モンテディオ山形に所属した名監督

過去にJ2のチームを4度もJ1昇格に導いた小林伸二監督は2008年にモンテディオ山形の監督に就任しています。1999年よりJ2に所属し、9シーズンにも渡りJ1昇格ができなかったモンテディオ山形を見事1年でJ1へ導きました。J1昇格後は思うような成績が残せず、J1での3シーズン目にあたる2011年に再びJ2降格となり、その年で契約満了となった小林監督も退任しています。

J2降格となってしまったモンテディオ山形を再びJ1の舞台に引き上げたのが石崎信弘監督です。実は石崎監督は、モンテディオ山形がJFL所属していた時のNEC山形時代に4シーズンに渡り指揮をとっていました。2014年に15年ぶりにモンテディオ山形を指揮することになった石崎監督はリーグ戦を戦い抜き最終順位6位で昇格プレーオフに進み、見事昇格プレーオフで優勝してJ1昇格を決めました。

「【ベガルタ仙台 vs モンテディオ山形】みちのくダービー人気投票!」まとめ

2016年以降はベガルタ仙台がJ1に所属し、モンテディオ山形がJ2所属となっているので、2015年を最後にリーグ戦でのみちのくダービーは実現していません。

しかし、2019年にはモンテディオ山形がJ1参入プレーオフまで進出しているので、近い将来再びJ1の舞台での実現が可能かもしれません。

「【ベガルタ仙台vsモンテディオ山形】みちのくダービー」の投票結果の発表

【ベガルタ仙台 vs モンテディオ山形】みちのくダービーはどっちを応援?のアンケート

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